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☆中国で汽車に乗る



☆彡 中国で汽車に乗る。。。


北京で数日間すごした後、私たちは中国東北部へ行くため、北京駅へ向かった。

駅に到着してすぐに駅前の光景に驚いた。

駅前広場一面に麻の袋のような山積みの荷物、そこにもたれかかって休んでいる人々
寝転んで毛布に包まっている人々、足の踏み場をさがすのに苦労しそうなくらいの人、人。。。

なんだかテレビや映画の終戦直後の混乱の時期の様子を見ているような感じである。

定刻に発車する汽車に乗るため、その人だかりの間を縫うように駅の中に
向かう私たちを、なにか珍しいものでも見るように視線を感じる。。。

何でこんなに私たちを見るの…?
正直、その視線にちょっと恐怖心を感じた。

今 当時を思えば、同じアジア人で顔もそんなに違わない日本人でも
外国人である私たちは中国人にとって、すぐに区別がついたようである。

当時は外国人がそんなに多くなかったのか、着る物の違いか、
現地の人は見ればすぐに外国人とわかるようだった。

そういえば、あの当時、中国の人々の服装は色あいがすごく地味だったような印象がある。

グレー、紺、カーキ色、黒、こげ茶・・・色合いはこんな感じだったっけ。。。
今ではあまり見られないグレーや紺、カーキ色の人民服も、よく見られた。


こんな寒い中で、何のためにこの人たちはここにいるの…?
一緒の連れに聞いてみた。

彼らはみな北京への出稼ぎ者で、春節のため田舎に帰るらしい。。。
この時期、汽車に乗る人が多すぎて切符がとれずにあぶれた人たちで
キャンセル待ちをしているらしい。。。

こんなに多くの人たち、皆 帰れるのかな…
大変なんだな。。。

私たちは人々の間をくぐり抜け、やっとホームまでたどり着き、
発車時間が近づいてきて 汽車の中に入った。

指定席までたどり着く間にも 周囲の視線を感じる。。。
こちらを見て なにか大声で話している。。。
すごく声が大きい。。。

中国の人は普段のおしゃべりも周りに聞こえるような大きな声で話すのは日常のこと……
そう知るのは、それから何年もずっと後のことだった。

その頃、中国語など何一つわからない私には、こちらを見て
みんな私のことを何かすごく怒っている…そう感じてしまい、
汽車の中の限られた密室ということもあり、ますます
恐怖心は募るばかり。。。

恐怖心は頂上に達してしまい…そう、お恥ずかしいが 泣いてしまった。。。

連れの友人は汽車の乗務員に頼み込んで、ハードスリープ(3段ベッド)から
ソフトスリープ(4人用個室)に変えてもらった。

ほんとはダメだったらしいが、交渉の際 お金でなく日本のタバコを1箱
渡すと、なんとか手をうって変えてくれたということだった。

12~3年前のその当時は、外国タバコは珍しくて"貴重"だったらしい。
当時、何か頼みごとをするのに日本(外国)のタバコはとっても有効だったようだ。

個室に変えてもらって何とか落ち着いたが、他のお客2人もいて 
先ほどの恐怖感もさめやらず、なんだか眠れずに長い夜に感じた。

夜が開け始めた朝方、窓の外を覗いてみた。
いちめんうっすらとぼやけた霧の中にまっすぐな地平線。
その地平線の上に沿うように細長い木が並んで生えている。。。
他にはなにも見えない。

まさしく中国の雄大な景色を見た気がした。

しばらくこんな光景が続き、だんだん建物が見えてきた。
音楽が鳴りアナウンスが放送される。。。

昨夜の9時半過ぎ、北京を出発して9時間…
ようやく中国東北部 瀋陽に到着した。


瀋陽には一緒に来た連れの実家がある。
これからしばらくの間、私は連れの実家でお世話になる。。。

生まれて初めて中国人の(日本人以外の) 家に足を踏み入れることになる。。。


汽車を降り、初めて東北部の瀋陽の地に一歩を踏み入れた。
空気が冷たい。。。初めて感じる冷たさだ。

寝不足の朝にこの冷たさが、心地よい。。。

昨夜のことなど一掃させ、気分もなんだかすっきりしてきて、
これから出会うであろう人たちに、ワクワク…ちょっとドキドキ…
心中胸膨らませ タクシーに乗り、
私たちは一路 連れの実家へと向かった。。。




☆彡 連れの実家にて。。。へ続く








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